GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

苦難は忍耐を 忍耐は練達を         練達は希望を生み出す

 卒業式のころ
 当県では、明日・明後日に多くの小中学校で卒業式が執り行われます。(高等学校は大多数が3月第1週に終えています。)
 卒業生にとっては、自分の成長に多くの人々の支えや温かい思いがあったこと、そして、先生と友だちへの感謝の思いを胸に感じる日。そして、列席する皆さんにとっては、子どもたちの確かな成長を、実感する日。未来に向かい歩みゆく子どもたちを、晴れやかに送り出す時を、今年も迎えようとしています。
 さて、こうした「卒業式」では「夢と希望を持って…」という言葉が頻繁に言われます。口をついて出てしまう「夢」「希望」という言葉ですが、その重みとか、それらはどうやって生まれるのか、というようなことまでは、あまり考えてはいないことはないでしょうか。
 希望の見出しにくい世の中だ、なんてことが言われ続けています。自分の世界に引きこもり「希望がない」と言う人や、「いまの世の中には希望がない」とか聞くことがあります。
 でも、これっておかしいですよね。希望というものは、何もせず待っていて転がり込んで来るものでもなければ、他所から「はい、ご注文の『希望』をお届けしました。」とクロネコヤマトの宅配便で配達されるものではありませんよね。
 卒業式でも「夢と希望を持って」なんてこと、結構軽く言っています。私も使いました。でも、本当は、本物の「希望」というものを持つこと、求めて行くことというのは、そんなに軽いものではないと思うんですよね。「こうだったらいいなあ」「こうなればなあ…」というくらいなことは、「希望」と呼ぶに値しない、と自分は思います。
 夢も希望も、それを本気で追うつもりであるならば、それなりの労苦は覚悟しなければいけないのでしょう。
 逆に捉えれば、労苦を覚悟できなければ、夢は持てない、本気の希望ではない…ということかもしれません。
 45年前、高校の恩師のひとりであるチャプレンは、私たちにこのような言葉を贈ってくださいました。
  私たちは知っているのです。
  苦難は忍耐を
  忍耐は練達を
  練達は希望を生み出すということを。
 出典は聖書なので、本当のところは宗教じみた色合いと意味内容を持つ言葉です。しかし、宗教性を排除した解釈でも、広く一般的な意味で通用する言葉だと思っています。
 「苦難」に真摯に向き合い続けることを通して「忍耐」に行き着くことがまずは必要。そして「忍耐」を積み重ねて行くことで「練達」に至る。練達とはあまり使わない言葉ですが、「熟練して精通すること。物事になれて奥義に達したこと」(広辞苑)ということ。そうしてこそ「希望」に行き着く…ということは、いずれの世界でも同じことではないでしょうか。「労苦なくしてあがなわれうる真に貴重なものは何一つとしてない」というのは、まさに至言であると思います。
 この春、卒業を迎え、新たな道へ歩み出す児童生徒の皆さんに倖あることを祈ります。
アウトドア、テキストの画像のようです