GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

豆太が何よりも怖かったのは・・

豆太が何よりも怖かったのは・・
 先日「かみなりむすめ」の作品について記しましたが、同じシリーズに「モチモチの木」という作品があります。小学校低学年「国語」の教科書にも掲載されていますので、ご子息ご令嬢の学習からご存知な方も多いのではないでしょうか。これも本当に素敵なお話なのです。
 怖い、怖い、暗闇も怖い、木も怖い。足は冷たく、切れて血が滲んでくる。
 それでも豆太が何より怖いのは、じいちゃんが死んでしまうこと、いなくなってしまうこと。それに比べたら他のものなんて怖くもなんともない…。
 人が強くなるには何が必要なのか。孤独だから強いのか。愛されているから強いのか。守るものがあるから強くなれるのか…。
 某小学校在勤時、若い講師の先生がこの作品を教材とした国語授業をするにあたって、授業づくりと教材研究をともにしました。写真は、子どもたちが、この作品の中で自分が感動した場面、心に残った登場人物の心の言葉、発した言葉を、心に刻み、皆にも知ってもらうために表現したものです。その若い講師の先生と子どもたちが、この作品について心を込めて読み、個々の読みを交流し、感想や感動を伝え合い分かり合おうとした様子が伝わります。
 いい言葉はいい人生を支える、つくる…などと言いますが、言葉と心はつながっているんですから当然と言えば当然ですね。まだ小さな子どもたちですが、その柔らかな心の襞に、先生と友だちとこの授業で読んだ作品とともに、この言葉を染み込ませたことでしょう。
 さて、このお話の中で私が素敵だなあ思うところのひとつに、豆太がジサマを助けたこの一件の後も相変わらず「甘えん坊」でいること、そして、そこでお話が終わるところ…ということがあります。
 これが「(このできごと)以来、豆太は勇敢な男の子になりました。(メデタシメデタシ)」では、興醒めです。そんな結末は、ありのままの子どもの成長を受け止める心の余裕のない大人の勝手な希望的結末にすぎませんよね。
 本当の自立をするため…そのためには「依存」する「時」と「対象」が不可欠なのです。
 河合隼雄先生はこう語られています。
「自立とは、依存を排除したところにあるのではない。十分な依存の裏打ちがあってこそ、真の自立が生まれ出てくる。子どもを甘やかすと自立しなくなると言う人もいるが、確かにこの時、親の方が自立していない場合、子どもの自立を妨げることになる。親が自立的であり、かつ子どもに依存を許すと、子どもはそれを十分に味わった後、勝手に自立する。」
 ジサマを助けた後も、豆太は弱虫で甘えん坊でした。
 そんな豆太を、ジサマは丸ごと受け止め、信じ、愛したのです。
 そうして…、豆太はオトウやジサマのように、逞しく優しい若者に育ったに違いない!と思うのです。
 日野原重明先生は「子育てとは待つことだ」と言っています。「信じる」とか「愛する」とかいうことも、形を変えた「待つこと」であるように思います。小学校3年生の教材として珠玉の名作である「モチモチの木」は、こうした大切なことが作品の底に流れているように思っています。