GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

自分自身と「つながれる」ために・・

自分自身と「つながれる」ために・・
 関わりを拒否する、周囲と壁をつくる…。そうした行動をとる子どもに出会ってきたことが幾度もあります。語りかけ、心を寄せていこうとしても、関わることを受け入れようとしてない…。   
 しかし、そうした行動をとる子どもも、必ず関わりを求めています。
 いま、就労支援・相談という関りをもっている方々にも、かつて(あるいは現在においても)そのような成育歴をお持ちの方、それに起因する悩みや困難があるように思います。
 そうした子ども(方々)たちに必要なのは(…逆に言うと不足しているものは)「安心感」といったらよいでしょうか。「安心感」が与えられると、子どもは人とつながり、自分で伸びていく、育っていく力を持っているのです。
 様々な子どもたちと過ごす中で感じてきたことです。「生き難さをもつ子ども」「うまく動けないでいる子ども」たちは、子ども自身が「自分とつながれない」「自分を受け入れられない」中で生きてきたのではないかと感じてきました。
 自分と「つながっていない」「受け入れられない」と、他人と「つながれる」「受け入れる」ことができません。自分をもてあまし、他の人が理解し難い行動をとってしまっているのです。
 「自分とつながれない」でいる子どもの隣で、誰かが(…最も大事なのは親!)寄り添って、その子どもを受けとめていく経過を経る中で、子どもたちは安心して自分を出せるようになっていけるのだと思います。
 ここでいう「安心感」というのは「自分が自分でいい」という、生きるための最低の保障です。これがないままに、あれやこれやと言われることは、自分はダメなのだと不安にさせるものなんです。
 叱られること、嘆かれること、あきらめられること、小言を言われること等々。大人たちが自分に向けてくる対応、その根底にある思いを、子どもは感じとります。そして、そんな大人や周囲を「嫌い」として避けます。そして、それとともに、「自分自身」をもっと否定し「嫌い」になってしまうんです。
 関わりを拒否する子どもでも、ほんとうのところでは必ず関わりを求めています。親や先生に受けとめられて、自分らしく正しく導かれ、育ちたがっています。
 こうした「土台」は、子どもたちは自分自身では、作ることはできないのです。
 これまで出会ってきた子どもたちの姿を見返す時、子どもは「安心」という土壌が与えられると、それを栄養にして、自分を受け入れ、人とつながり、伸びていく力を持っていることに思い当たります。考えてみれば、私たち自身も、多くの人の愛を受け、力を借り、失敗や悩みの経験があったからこそ、一人の大人に成長させてくれたのだと思います。
 自分が手に入れた価値観や方法ばかりに縛られて、子どもをありのままに見られなくなっていないだろうか。そんな視点から自分自身を見返すことも大事だと思います。子どもとの対応に悩んだり、行きづまったりした時こそ、今まで気づかなかった子どもの姿や自分自身を理解して、変化していくチャンスだと思います。「教育」や「子育て」というものは、子どもの成長ということだけではなく、私たち親や教師も成長していく機会を与えてくれるものだと思います。
 
 
 
 
 
 
毅彦