表札
現在、私はある圏域の県立学校で「チャレンジ雇用」として就労されている皆さん方の支援に関する任に就いています。皆さんが、それぞれの場における業務を推進していく中で、自分自身の成長を自覚し、自信につながる日々を過ごしていることを思いますし、それを願っています。
前職にあるとき、子どもたちに「自分に自信を持つ」ために歩んでいくことの大切さと、その願いを伝えようと思い、次のような詩を通して語りかけたことがありました。少々妙な(?)詩ですが、ご一読ください。
表札
石垣 りん
自分の住むところには
自分で表札を出すに限る。
自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれた表札は
いつもろくなことがない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様がついた。
旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
様も
殿も
ついてはいけない
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神のあり場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい
この詩の題名である「表札」とは何を示しているのでしょうか。
様々な解釈ができると思いますが、「他の人から見た」「自分の見られ方」というとらえ方もできるかもしれませんね。
私たちの周囲には、何人もの人がいるわけですが、その人々の数だけ、自分への「見方」があることでしょう。それこそ、人によって様々です。
何かひとつの行為だって、好意的な見方をしてくれる人もあれば、その逆もあるということですね。
そう考えると、他人に自分がどう見られているかということは、あまり考えても仕方ないことなのかもしれません。自分自身が、しっかりと「自分が納得できる毎日」を送ることができれば、それでいいのだ…ということではないでしようか。
日々の一歩一歩の頑張りの中にこそ、「自分が納得できる毎日」を送ることを求めて、その中から生み出していく「自信」を持って、自分の表札をつけていきたいと思います。