GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

聴くということ      心不在焉 視而不見 聴而不聞 食而不知其味

心不在焉 視而不見 聴而不聞 食而不知其味

(心ここにあらざれば 視れども見えず 聴けども聞こえず 食えどもその味を知らず)

 という言葉がある通り、心がそこになく、他の事に気を取られているようでは、物事の本質をつかむことはできません。視覚的にとらえていても、見えてはいない、聴覚的に聞こえていても、心に届かない…という事は、子どもばかりでなく、私たちも全く同じように考えていきたいことですね。

 某小学校在勤時、若手の女性教諭が、全校児童に向け「話す・聴く名人になろう」ということをテーマとした取組を推進してくれました。子どもたち全員に語りかけ、全校で取組んでいくことを明示してくれたことがありました。とても着眼点のいい、センスある若手教師だなと思い、学校経営上とても心強く感じたことを覚えています。

 


 「聞く・聴く」「話す」 

 このことは、小学校で子どもたちに身に付けてあげたい最上位のものであると思っています。この技能、そして態度や姿勢がしっかりと身についていれば、その後の学業においても仕事においても、相当なアドバンテージを持つといって過言ではありません。注意力、理解力、認識力が向上するのはもちろん、言語力、想像力、といった力が相互作用を繰り返しながら、その子に培われていくでしょう。そればかりか、無駄な時間を過ごすことがありません。限りある時間です、「聴かない・聴けない」という事は、相当に無駄な時間を浪費していることになりますよね。心のコップを伏せておいては、やはり何もつかめないんです。

 さて、それらができるようになった上で大事なこと…(虎の巻でレベル10くらいになるかな?)にあたると思いますが、少し前に流行り(?)ましたが、ドラッカーがこう記した言葉があります。

The most important thing in communication is to hear what is not being said.

 直訳すると「コミュニケーションで一番大事なことは、話されていないことを聞くこと」という事になると思いますが、意訳すれば「言いたいことを推し量って汲み取ること」ということになると思います。奥方さま相手にはこれができる…というよりしないとまずい…。なんて方もいらっしゃるかな?(…自分か!)

 「言外の言」などと言われることだと思いますが、日本人ばかりでなく、欧米人も同じことがあるんだなあ、と少々意外な気がして覚えていたのです。

 ドラッカーの意図する適用場面とは異なるかもしれませんが、このことって、子どもに接する私たち教員等には大切な「聴く力」だよなあと思ったのです。

 子どもの言い表せないこと、表現できないこと、言葉にできない哀しみとか苦しみとか、声なき声を聞く(聴く)力。そこに至らなくても聞こう(聴こう)とする姿勢や態度は大切ですね。そんな態度と姿勢を持つことが、聞く(聴く)力がついていくことに繋がるのだと思います。老化?なのか、だんだんと都合の悪いことは聞けない耳(ある面いい耳ですよね! 奥方には不評ですが…)になってきている昨今ですが、再度、「聴く」ことの大切さを考えていきたいと思います。

 「人の夢の話をニコニコ聞ける人は、その人自身が夢を持っている人だ。」 

 中谷彰宏さんの言葉にこんなものがあります。

 何の話を聞くにしても、「自分もまた何かしっかりしたものを持っていないと聴けない」ということなんでしようね。