GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

Lawrence of Arabia その➂

Lawrence of Arabia その➂
  ~ riding the whirlwind ~
 
 現代の中東やパレスチナの混乱は(大元は更に過去に遡りますが…)、この映画で描かれている第一次大戦における英仏の二枚舌・三枚舌外交が発端です。オスマン帝国と後ろ盾の独を駆逐するために、アラブ民族に独立支援の約束をして戦力として利用し(この時の英雄がロレンスです)、しかし、本心では英仏露で権益を独占するための植民地支配を画策しているので、アラブ民族だけの力で勝利してもらっては困ります。けれども自国だけの戦力では苦戦し埒が明かない…。ついでに言うと、米国を戦争に引き込むためにアラブ側には秘密にしてイスラエル建国を約束していたというし…。全く節操がないというか、信義だとか誠意だとかあったものではありません。英国紳士だの騎士道だのへったくれも…かの国々にはそんなものありはしないのです。近世世界史を俯瞰すると、露は言うに及ばず英仏二国が絡むと大体ロクなことがないのです。両国とも博愛や人権の御本家・家元みたいな顔していますけれどとんでもない誤解! しかし、それが外交というものなのかもしれませんね。我が国もそんなスタンスのインテリジェンスが必要なのかもしれませんけれど…。
 さて、情報将校であったロレンスが、上記のような上層部の計略を全く知らずに苦悩のうちに翻弄された(本作映画では概ねそうした描き方です)ということはないだろうとも思いますし、かといって、ロレンスが情熱を持って支援し共に戦ったアラブの民たちをペテンにかける片棒を担いでいたとも思えないのです。本当のところは永遠の謎ですね。
 この映画はマクロな視点で捉えると上記のような背景ですが、その状況の中での一人の青年将校ロレンスという様々な矛盾や葛藤を抱えた複雑な人間像を見事に描いた作品だと思います。
実際、彼は結構複雑で内面的葛藤に満ちた、かなり面倒な部類に入る人間でもあったようです。自分もかなり面倒な部類の人間だとの自覚もあり、このロレンスの存在や生きざまにかなり肩入れしていた時期がありました。彼の著書に「Seven Pillars of Wisdom(智慧の七柱)」というのがあるのですが、私は自分の日記というか備忘録、ネタ帳、思いを綴る雑記的ノートを作っていた際、「Seven Pillars of Wisdom」という表書きをしていました。振り返れば噴飯ものです。自分の場合は、言うまでもなくろくでもないことを書き綴っていたにすぎませんでしたけれども…。
 さて、クライマックス場面のひとつであるアカバ湾攻略の後のこと。ロレンスはモーゼの故事に倣ったかのように、シナイ半島を横断してカイロの軍本部に凱旋します。その時の服装は英軍将校のそれではなく、アラブの伝統的衣装でした。上官に対してアラブ支援の約束を取り付けようとするロレンス。そんな彼に対し、その行動とその拠って立つ思いを感嘆し称賛する一方で、警戒し戸惑っている軍の上層部と外交官。
 そんな「大人」たちが語り合う場面があります。若さに裏打ちされた正義感と愚直な情熱と、老練老獪な策略と権謀術数がせめぎ合う場面ですね。英軍の上官(アレンビー将軍)は、計略を巡らしている外交官と語る場面で、彼を評してこう語ります。
 (字幕)「彼は我々とは違う。
        あれは『つむじ風に舞う男』だ。」
 字幕では、上記『つむじ風に舞う』という言葉に和訳されていますが、原作原語ではこのような言葉になります。「He is riding the whirlwind.」どうです? やはり原語の響きがいいですよね。
ridingを「乗る」とするとベタですが、つむじ風と「疾走(はし)る」とか「踊る」とかでも悪くないような気がします。しかし、「舞う」がぴったりだと思います。風に靡くアラブの衣装に身を纏ったロレンスの姿には「舞う」が一番しっくりくると思います。いずれにせよ、「riding the whirlewind」という言い回しは、私たちバイク乗りには刺さる言葉ではありませんか。