GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

保守点検のためのお散歩

10月23日(日) 

 本日、お昼過ぎから地域の「郷土学習館」の名称がつけられた生涯学習施設で某会合がありましたので出席。その後、帰宅して少しばかり時間がありましたので、このところ放っておかれている長女のNinja400の保守点検のために、整備がてら近間を少々回ってきました。
 車体回りの様子、ブレーキパッド、タイヤ空気圧を確認。こうした段取りを本人にもさせなければいけないよなあと思いつつ、本人任せだけなのも怖いなあと思ってしまうのがいけないところなのかもしれません。
 さて、カウルには適度な?擦り傷があります。絆創膏を貼ることを推奨していますが、擦り傷を隠すこともなく開き直っています。ミラーやレバー類だけは新しく輝きがあります。なんででしょう。長女は、ミラーやクラッチ(ブレーキ)レバーは自然に生えてくると思っているのかもしれません。トカゲの尻尾やホホジロサメの歯じゃあるまいし…。

 実に静かに目を覚ますエンジンです。毎度思うのですが、400cc二気筒のエンジンってこんなに穏やかだったかなあ…。ひと昔前…いや、ふた昔くらいかな、自分が二十代の頃…の400CCのバイクって、もう少し元気でパワフルな味付けであったように思います。車体の重厚感もあったと思うのですが、それは気のせいでしょうか。自分が早々に大型にスイッチしてしまったからなのかもしれませんが。

 隣の市との境になる尾根につけられた道を走ります。適度なアップダウンのある屈曲路は行き交うクルマもほぼなく、気持ちよく深呼吸できます。この道、自分のランニングコースにもしていますし、積雪期はクロカンスキーで走ることにも活用させていただいています。極々近くに素敵な遊び場があることに感謝ですね。

自宅から10分でこちらの市境稜線ロードで遊べます。

車体は軽くてポジションはコンパクト。
女性にも人気なのがよくわかります。
扱いやすい穏当なエンジンですが、回せばそれなりに楽しめます!

 長女の走らせ方では6,000回転以上回したことがないであろうエンジンにも、気持ちよく深呼吸をさせることも大事なミッションです。それにしても…、本当に軽い車体です。ライディングして感じる車体の剛性感は400のそれだなあ、と思います。穏やか過ぎて非力にも感じたエンジンも、7,500位まで回すとそれなりの元気が出てきた感じがします。車体が何分にも軽く、左右への切り返しは非常に軽やかです。普段のGSのテレレバーでは味わうことのない、フロントフォークを縮めて組み立てていく従来のコーナーリング構成を楽しむことができました。フロントタイヤの接地感がとてもつかみ易く、結構なブレーキングを試みても不安な要素はありません。取り立てて驚くような美点も見つけられませんが、不安を感じる弱点もなく、オーソドックスで誰でも安心して乗り回せる優しさがあるという感触です。
 
 保守点検は以上で早々に切り上げます。スタンドによってから帰宅して、チェーンの洗浄と注油をしておきましょう。
 スタンドによってセルフ給油。GS-Aの30ℓと違って、今回の給油は9ℓとささやかなもの。しかし…。ガソリンはいつの間にか増えるもの、と長女は思っているのではないかの心配がありますね。

左 そのミラー手鏡に再利用しますか?
 右 立科町・女神湖畔にて(8月16日)

ミラーやレバーは放っておいても生えてこないぞ!。
パーツ代も工賃ももらっていないんだが…。




秘境テイストお好みの皆様へ 国道(酷道?)252と352をつなげた旅 その②   昨年11月、今年5月に通行不能だった道への再訪

 旅の朝は遠足当日の小学生でもあるまいに早々に目が覚めてしまうのですが、朝食は6:30。ありがたくいただいてからの出発としました。
 まずは長岡市から栃尾市へと向かう道を進みます。栃尾は大きな油揚げで有名です。それ以外にも、軍神・上杉謙信が病弱の兄から家督を譲り受ける前の若かりし頃、ここ栃尾城を預かり周囲の勢力を固めていったことでも知られています。そんな土地でもあり、私も何度か訪ねています。本日は通過させていただきます。
 山間の道を進むと、左手に守門山が美しい姿を見せてくれます。はるか46年前、弱冠17歳のワタクシは、東京上野を夜行列車で出発し、長岡から栃尾、栃堀とバスを乗り継いで、一人この山へ出かけたことがあります。越後の名山のひとつです。積雪期に山岳スキーで登山がしたいなあと思いつつ、数十年が過ぎてしまいました。

栃尾と守門山
http://tochiokankou.jp/tourism/sumon.html

入広瀬、大白川と経由する道も交通量は少ないものです。しかし、今日は土曜日。地元のライダーでしょう、元気よく走ってくるSSにも行き違いました。
さて、いよいよ「六十里越」と呼ばれてきた峠越えの道に入ります。

◇六十里越 概要
 魚沼市大白川と只見町大字田子倉の間に所在する峠。最高点の標高は863 m。
 六十里越の名の由来は、実際の距離は六里(約24 km)でありながら、険しさゆえに一里が十里にも感じられるほど余りに急峻かつ長大な山道であること、あるいは中世まで東日本において、一里は500 mであったことなど諸説ある。
 古くから新潟県中越地方と福島県会津地方南部を結ぶ街道の一つであるものの、国内有数の豪雪地帯に位置し、かつ雪崩や落石の危険性が高い箇所を経由することから通年では通行できない難所であった。昭和時代に入ってから道路改築と鉄道建設が進められ、まず1971年(昭和46年)に日本国有鉄道国鉄只見線(現在は東日本旅客鉄道JR東日本〉が継承)の、さらに1973年(昭和48年)9月には国道252号の、それぞれ県境区間が開業および開通した。いずれも区間内にはトンネルやスノーシェッドが連続して設けられている。

 ちなみに中越地方と只見町を結ぶ街道として、三条市と只見町の間に「八十里越」と呼ばれる峠がありますが、こちらは更に急峻な地形の難所で、現在も国道289号は自動車通行不能区間となっています。

 かつて一部区間はダートでしたが、現在は全区間が舗装されています。この県境区間ですが、「六十里越 雪わり街道」という愛称が付けられたようです。

この時間帯は周囲の山々の多くは霧に包まれていました。
魅力ある谷筋や岩壁を擁する山もあります。

六十里トンネルを越えて田子倉湖が見下ろせる辺りの路上。
走りに夢中になると…写真撮るの面倒になっちゃうんです…。

 よくよく見ないと線路が草木に隠れてしまう只見線。その線路と並走しながら緩やかな勾配を進み、県境となる六十里越トンネルを通過しました。
福島県側は急峻な地形となっていて、遥か下の田子倉湖を見下ろしながら急勾配の下りとなります。GS-Aは抜群の安定感で急勾配のヘアピンも、荒れた路面も快走させてくれます。
 こちらの山々のこと詳しくは調べていないのですが、相当に急峻な岩壁を擁する魅力ある姿の山がありました。浅草岳とか御神楽岳などの登山口もこの辺りですね。

 8:00 田子倉ダムに到着。ダムを見下ろす駐車場に「ぶらん湖」なるものが設置されています。まだレストハウスも開店前で周囲に人も疎ら…。還暦過ぎのオヤジが一人でブランコに乗る図も妙なものですがご勘弁ください。

田子倉ダムは霧に包まれていました。

田子倉ダム展望台駐車場 「ぶらん湖」なるものが置かれています。

周囲にだれもいないし…。ぶらん湖のっちゃおうかなあ…。

還暦すぎたおやじが一人でブランコに乗っているという
奇妙な図です…。

田子倉ダム
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0494


 田子倉ダムからしばらく下れば、一段下に位置する只見ダムに至りました(8:20)。
 この5月に訪れたところです。あの時は、いま通ってきた山も道も深い雪の中でした。同じ場所での写真を一枚。

只見ダムの堰堤左岸にて。
こちらは今回10月15日のもの。

同じ場所。こちらは5月18日。
この時点でも、今回走った道は通行不能でした。

◇只見ダム
http://damnet.or.jp/cgi-bin/binranA/All.cgi?db4=0541


 町中へと向かい、只見駅を左手に見送って、南会津への道をたどります。5月の時と逆ルートになります。
 その時には、檜枝岐から走って来る中、道中に開店している店がひとつもなく、ようやく朝食を調達できたデイリーストア「よろずや」さん。素敵なおば様が会津言葉でいろいろとお話をしてくれたお店です。再度、少々寄り道させていただきました。今日もお元気でなによりです!

素敵なおば様が会津の言葉でいろいろと教えてくれます。
この写真は5月のものです。

 山間ですが、平坦な道を檜枝岐へと快走。先ほどまで雲が多かった空でしたが、ここらあたりから晴れ間が広がりました。
 9:30 道の駅「尾瀬・檜枝岐」に到着。すっかりよい天気になりました。

◇道の駅「尾瀬・檜枝岐」
http://www.oze-info.jp/mitinoeki/

 その後、しばらくは比較的なだらかな林間の道を進みます。七入キャンプ場を見送って川を越すと、いよいよ急勾配の屈折路になります。この屈曲路を抜けると勾配が緩やかになり、道幅も広がって見晴らしもよくなります。この辺りで紅葉した木々を撮影している方がたくさんおられました。紅葉の名所で「ブナ平」の名前がつけられているようです。自分も一枚!(10:00)

この近辺、路上に駐車して撮影している方がおられました。

 さらに少し進むと、尾瀬登山の拠点である「御池」に到着します。ここにはクルマが結構な台数ありました。こここのルートの最高点となります。ここからは、奥只見湖の尾瀬口船着場まで標高差750mの下りの急坂。路面はいいので気持ちよく下れますが、1~1.5車線程度の狭路が多いので対向車注意です。慣れないクルマは結構膨らんでくるので…。

 やがて奥只見湖船着場に出ますが、ここは通過。ここからは、奥只見湖(銀山湖)を右手下に見下ろしながら、延々と続く屈曲路を銀山平まで進みます。奥只見湖の西端に位置する銀山平にも船着場があります。同じ湖ですから、当然標高差はありませんが、この道には標高差のある峠が三つほどあります。

 カエデの葉のような形状の湖岸に沿った道が付けられているので、尾瀬口と銀山平の直線距離は8kmほどですが、道のりは28kmになります。すぐそこの対岸に見える場所までに行くのに、結構な距離を要したりします。圧倒的な景色に気分は爽快ですが、延々と続くワインディングには、相当な屈曲路フェチでも満腹になると思います。

◇奥只見湖
https://niigata-kankou.or.jp/spot/7593
https://www.iine-uonuma.jp/photo_spot/natural_landscape/okutadamiko/

直線距離8キロメートル…実際に走る道のり28キロメートル!

 この道々の様子は、大変にワイルドな様相ですので、しっかりと写真に収めればよいのですが…。ワタクシの悪い癖で、走りに夢中になっちゃうんですよ…。途中で停まりたくない気持ちが上回っちゃうんですねえ。
 素晴らしい景観なのに写真撮影をしていない。
 なんとブナ平から枝折峠まで写真ゼロ…。
 自分のような人間は自動撮影カメラをセットしておいたほうがいいかもしれませんね。


 銀山平船着場を過ぎてしばらくすると右折して銀山平トンネル(シルバーライン)の案内があります。このトンネルは電源開発のために作られたもので、味もそっけもない数十キロ続くトンネルです。クルマで通行したことはありますが、ここは二輪車通行禁止です。

 直進して枝折峠への道へ入ります。ここも素敵に屈曲した細い山道。ただ標高差は300m程度です。大展望が評判の枝折峠でひと休み。

 枝折峠(11:15-11:30)

枝折峠
https://niigata-kankou.or.jp/spot/10638

上  枝折峠には立派なお手洗いあり。案内板もあります。
中  越後駒ケ岳の登山口。百名山狙いの登山者の車多数。
下  峠の駐車場と山麓の湯之谷、魚沼市方面の展望が見事

 この枝折峠の道ですが、20年くらい前まではかなりの区間がダートであり、二輪通行禁止でもありました。確か15年ほど前に二輪車の通行が可能となり、解禁当時早速乗り入れました。その時はすでに15年来の相棒であったZZ-R1100(C1)でした。あのカタチでありながらも、ダートでも何の不安もなかったことに、あのバイクがいかに乗りやすい名車であったかを今更ながら思います。

 ここからは延々と下りの道です。屈曲路の下りですが、路面状況はよく道幅も徐々に広くなっていきます。人里近いことを感じる道となり、道なりに進めば小出市街に出ることができます。今回は町中に出る前に街道沿いにあった「心亭」というお蕎麦屋さんで昼食をいただきました。お土産も調達。(12:15-12:45)

枝折峠からの下り道。路面はとてもいいです。 
心亭。おいしいおそばをいただきました。

◇心亭
 https://www.yunotani.or.jp/%e5%bf%83%e4%ba%ad.html

 

 さてさて…。 まだお昼回ったばかりじゃん…。
 その後の自宅のある岡谷までのルートとしては、小出ICから長岡JCT経由、北陸道上越JCTから長野自動車道へ回るのが一番効率的です。他には関越を南下して藤岡JCTから上信越自動車道に回って佐久ICからのルートも取れます。しかし…、どこかのおバカさんはワインディングロードの走りにまだお腹一杯になっていないようで、小出からも峠越えの県道をチョイスしながら十日町、津南と経由しました。津南では「…左折すれば秋山郷から奥志賀林道走って志賀高原経由で帰れるなあ…」との不埒な思いもアタマに浮かびましたが、同時に家内の顔もアタマに浮かびましたので、秋山郷へと迷うことなく栄村経由で飯山市に入り給油〔14:30  飯山市シェルで給油25ℓ〕。   

 飯山ICから高速利用して、日の高いうちに無事帰宅いたしました。
 秘境テイストを満喫できた旅でした。ありがとうございました。

前日と本日の走行ルートです。

 こうして、昨年晩秋と今年春先、企図していながら通行不能で2度までも引き返すことになった国道352号線と252号線をつなぐルートを走ることができました。奥只見や会津の山々を巡るこのルート。かつてと様相が変わっているところも変わらぬところもありましたが、秘境テイストを味わいながら快走できるルートでした。
 今回の総走行距離は680㎞ほど。今回は自宅夕刻発の長岡前泊での回遊でしたが、往復しっかりと高速を利用すれば、私の暮らしている諏訪辺りからならば十分日帰りは可能です。
 でも、ゆっくりした味わいを求めて走りたいならば、檜枝岐近辺のキャンプ場で一泊すると楽しいでしょうね。

 

秘境テイストお好みの皆様へ 国道(酷道?)252と352をつなげた旅 その①   昨年11月、今年5月に通行不能だった道への再訪

 昨年11月にはいわき市草野心平記念文学館」を訪ねた翌日、会津若松経由で只見を抜けて国道252号線、あるいは桧枝岐から国道352号線を通って新潟県に抜ける帰路を取ろうと思っていたのですが、両方とも既に積雪で通行止めとのことでした。この時は仕方なく日光からいろは坂を登り中禅寺湖、戦場ヶ原、金精峠を抜けて沼田経由で帰宅しました。金精峠通過もやや心配でしたが、塩カルの散布はあったものの、素晴らしい秋晴れの中を快走することができました。お目当ての国道はこの日を境に長い冬季閉鎖となりました。

2021.11.10    戦場ヶ原 秋空の下、貸し切り気分を味わいました。
中禅寺湖もひっそりとしていました。

 

2021.11.10  日光湯元から金精峠へ 
金精峠の栃木県側は塩カルが散布されていました。
群馬県側はドライでした。尾瀬片品までの道も素晴らしい景観が続きます。

◇日光いろは坂 金精峠 尾瀬片品
 https://gs1250suguru.hatenablog.jp/entry/2021/11/11/150000

 

 今年の5月に入って、各地の冬季閉鎖道路も通行可能になってきたので、昨年果たせなかった「樹海ライン」を目指して再訪しました。この時は前日午後発で、上信越自動車道北関東自動車道を通って佐野市で一泊。日光から南会津経由で桧枝岐に入りました。事前の情報では「通過できそうだよ!」とのことだったのですが、現地では「御池までなんですよねえ!」とのこと。5月17日の時点でも除雪が完了していないのです。桧枝岐の雪をなめてはいけません。仕方なく、只見経由で六十里越を目指しましたが、こちらも「通過不能」でした。再び追い返されてしまいました。しくしく…。

2022.5.17  檜枝岐 道の駅「尾瀬・檜枝岐」
この先の「御池」から先は未だ通行不能でした。
同日 国道252を諦め、只見経由で国道352をめざしましたが…
「魚沼方面 通り抜け不可」の看板が!
雪崩で橋が損傷したとのことでした。
只見ダムの奥にはまだたくさんの雪を冠した奥只見の山々が…。 

◇桧枝岐から樹海ラインをめざすぞ 2日目
 https://gs1250suguru.hatenablog.jp/entry/2022/05/18/170000

 

 上記の通り、この2つの国道には長い閉鎖期間があります。積雪による冬季閉鎖以外にも、大雨などによる災害発生による通行止めも多々あります。252線の銀山湖沿いに走る部分は「洗い越し」がたくさん設けられていて、雨量が増すと通行できません。なお、その区間は携帯は完全に圏外であることも申し添えます。

洗い越し(あらいごし)とは、道の上を川が流れるようにしてあるものをいう。橋を作れない理由として、コストや建築技術的な問題、敵の進軍を想定などが上げられる。また、森からの沢水を山側から谷側に流すために道を横切る様に作られた排水溝の機能を持たせた構造で、道の流水による侵食や崩壊を防ぐ目的がある。

◇六十里越雪わり街道~国道252号~
https://www.8190.jp/bikelifelab/road100/fukusima/rokujyuurigoe/
国道352号 樹海ライン
https://www.8190.jp/bikelifelab/road100/niigata/okutadami/
国道352号全線開通のお知らせ
http://www.oze-info.jp/r352-kisei/

 

 夏場は…。いい季節ではあることでしょう。暑さをものともしない方であれば…。
 桧枝岐や只見の山中は涼しいと思います。標高もそれなりの山中ですし…。
 しかし、そこに至るまで通過しなければならないところが、いずれも猛暑に見舞われる場所なんです。新潟方面から入るとすると、津南、十日町、長岡…。いずれも暑さ厳しいです。栃木福島方面から入るとすると、私の場合、前橋や佐野を回らねばなりません。冷涼な諏訪に暮らす人間には厳しい暑さです。…二の足を踏んでしまうんですよねえ。

 そんなわけで、適切なタイミングを図っていたのですが、暑さもすっかり収まった10月上旬、思い描いていたこの2つの道を「1日でつなげて走っちゃえ!」ということで、10月14日、15日に出かけてまいりました。以前にクルマでもバイクでも走ったことはあるのですが、それぞれ15年以上も前のこと。新鮮な気持ちで楽しみたいと思います。

 

10月14日(金)
 勤務を終えて帰宅し、15時に出発。日本海に沈む夕日を眺めたいと思い、岡谷インターから高速利用。途中、松代PAで給油〔24ℓ〕。毎度のことながら中野ICを過ぎると交通量激減。上越JCTから北陸道。米山PA着16:45。日没に間に合いました。雲が多かったのが残念でしたが、日頃山の端に沈む夕日しか見ることのできない信州人には刺さる景色です。

普段山の端に沈む夕日しか眺めていない信州人には刺さる景色です。
北陸道 米山PA

 この晩は、長岡市内のビジネスホテルに投宿しました。

 

 

 

表札

 現在、私はある圏域の県立学校で「チャレンジ雇用」として就労されている皆さん方の支援に関する任に就いています。皆さんが、それぞれの場における業務を推進していく中で、自分自身の成長を自覚し、自信につながる日々を過ごしていることを思いますし、それを願っています。
 前職にあるとき、子どもたちに「自分に自信を持つ」ために歩んでいくことの大切さと、その願いを伝えようと思い、次のような詩を通して語りかけたことがありました。少々妙な(?)詩ですが、ご一読ください。

 表札
             石垣 りん
自分の住むところには
自分で表札を出すに限る。
自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれた表札は
いつもろくなことがない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様がついた。
旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
様も
殿も
ついてはいけない
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神のあり場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい

 

 この詩の題名である「表札」とは何を示しているのでしょうか。   

 様々な解釈ができると思いますが、「他の人から見た」「自分の見られ方」というとらえ方もできるかもしれませんね。

 私たちの周囲には、何人もの人がいるわけですが、その人々の数だけ、自分への「見方」があることでしょう。それこそ、人によって様々です。

 何かひとつの行為だって、好意的な見方をしてくれる人もあれば、その逆もあるということですね。

 そう考えると、他人に自分がどう見られているかということは、あまり考えても仕方ないことなのかもしれません。自分自身が、しっかりと「自分が納得できる毎日」を送ることができれば、それでいいのだ…ということではないでしようか。
 日々の一歩一歩の頑張りの中にこそ、「自分が納得できる毎日」を送ることを求めて、その中から生み出していく「自信」を持って、自分の表札をつけていきたいと思います。

表札

 現在、私はある圏域の県立学校で「チャレンジ雇用」として就労されている皆さん方の支援に関する任に就いています。皆さんが、それぞれの場における業務を推進していく中で、自分自身の成長を自覚し、自信につながる日々を過ごしていることを思いますし、それを願っています。
 前職にあるとき、子どもたちに「自分に自信を持つ」ために歩んでいくことの大切さと、その願いを伝えようと思い、次のような詩を通して語りかけたことがありました。少々妙な(?)詩ですが、ご一読ください。

 表札
             石垣 りん
自分の住むところには
自分で表札を出すに限る。
自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれた表札は
いつもろくなことがない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様がついた。
旅館に泊まっても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場の鑵にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
様も
殿も
ついてはいけない
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。
精神のあり場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい

 

 この詩の題名である「表札」とは何を示しているのでしょうか。   

 様々な解釈ができると思いますが、「他の人から見た」「自分の見られ方」というとらえ方もできるかもしれませんね。

 私たちの周囲には、何人もの人がいるわけですが、その人々の数だけ、自分への「見方」があることでしょう。それこそ、人によって様々です。

 何かひとつの行為だって、好意的な見方をしてくれる人もあれば、その逆もあるということですね。

 そう考えると、他人に自分がどう見られているかということは、あまり考えても仕方ないことなのかもしれません。自分自身が、しっかりと「自分が納得できる毎日」を送ることができれば、それでいいのだ…ということではないでしようか。
 日々の一歩一歩の頑張りの中にこそ、「自分が納得できる毎日」を送ることを求めて、その中から生み出していく「自信」を持って、自分の表札をつけていきたいと思います。

聴くということ      心不在焉 視而不見 聴而不聞 食而不知其味

心不在焉 視而不見 聴而不聞 食而不知其味

(心ここにあらざれば 視れども見えず 聴けども聞こえず 食えどもその味を知らず)

 という言葉がある通り、心がそこになく、他の事に気を取られているようでは、物事の本質をつかむことはできません。視覚的にとらえていても、見えてはいない、聴覚的に聞こえていても、心に届かない…という事は、子どもばかりでなく、私たちも全く同じように考えていきたいことですね。

 某小学校在勤時、若手の女性教諭が、全校児童に向け「話す・聴く名人になろう」ということをテーマとした取組を推進してくれました。子どもたち全員に語りかけ、全校で取組んでいくことを明示してくれたことがありました。とても着眼点のいい、センスある若手教師だなと思い、学校経営上とても心強く感じたことを覚えています。

 


 「聞く・聴く」「話す」 

 このことは、小学校で子どもたちに身に付けてあげたい最上位のものであると思っています。この技能、そして態度や姿勢がしっかりと身についていれば、その後の学業においても仕事においても、相当なアドバンテージを持つといって過言ではありません。注意力、理解力、認識力が向上するのはもちろん、言語力、想像力、といった力が相互作用を繰り返しながら、その子に培われていくでしょう。そればかりか、無駄な時間を過ごすことがありません。限りある時間です、「聴かない・聴けない」という事は、相当に無駄な時間を浪費していることになりますよね。心のコップを伏せておいては、やはり何もつかめないんです。

 さて、それらができるようになった上で大事なこと…(虎の巻でレベル10くらいになるかな?)にあたると思いますが、少し前に流行り(?)ましたが、ドラッカーがこう記した言葉があります。

The most important thing in communication is to hear what is not being said.

 直訳すると「コミュニケーションで一番大事なことは、話されていないことを聞くこと」という事になると思いますが、意訳すれば「言いたいことを推し量って汲み取ること」ということになると思います。奥方さま相手にはこれができる…というよりしないとまずい…。なんて方もいらっしゃるかな?(…自分か!)

 「言外の言」などと言われることだと思いますが、日本人ばかりでなく、欧米人も同じことがあるんだなあ、と少々意外な気がして覚えていたのです。

 ドラッカーの意図する適用場面とは異なるかもしれませんが、このことって、子どもに接する私たち教員等には大切な「聴く力」だよなあと思ったのです。

 子どもの言い表せないこと、表現できないこと、言葉にできない哀しみとか苦しみとか、声なき声を聞く(聴く)力。そこに至らなくても聞こう(聴こう)とする姿勢や態度は大切ですね。そんな態度と姿勢を持つことが、聞く(聴く)力がついていくことに繋がるのだと思います。老化?なのか、だんだんと都合の悪いことは聞けない耳(ある面いい耳ですよね! 奥方には不評ですが…)になってきている昨今ですが、再度、「聴く」ことの大切さを考えていきたいと思います。

 「人の夢の話をニコニコ聞ける人は、その人自身が夢を持っている人だ。」 

 中谷彰宏さんの言葉にこんなものがあります。

 何の話を聞くにしても、「自分もまた何かしっかりしたものを持っていないと聴けない」ということなんでしようね。

小諸なる古城のほとり…     近隣の小さな旅

 藤村の第四詩集・落梅集所載の「千曲川旅情の歌」に歌われた小諸市に、家内と近隣のドライブで訪れました。家を出た時は他の所を考えていたのですが、和田峠を越えて長和町から上田市に入るあたりの道を走っている時、急に思いついて小諸に向かうことにしました。

 さて、小諸ですが…。かつては信越本線の特急「あさま」の全列車が停まる駅、小海線の始発終着駅でした。駅前には「東急百貨店」があり、結構な賑わいのあるところだったのですが、平成9年(1997年)に開通した「長野新幹線」は、軽井沢→佐久→上田を通り、小諸はスルーされてしまったこともあり、最近は地盤沈下が言われていました。しかし、古くからの城下町、北国街道の宿場町でもあり、小諸城址、懐古園を始め、趣ある街並みと風情が残っている土地だと思います。
 ※「長野新幹線」 平成27年(2015年)に金沢駅まで延伸開業した際に「北陸新幹線」と統一され、この呼称は消滅しました。

かつて「小諸東急百貨店」がありました。
特急「あさま」も全列車が停車する
東信地方の基幹駅でしたが…。

駅前の広場を整備して、
憩いの場を作ろうとの工夫と努力が感じられます。

 クルマを駅前駐車場において案内を見ていると、案内の方が声をかけてくださって、小諸で行っている市街周遊カート(下記リンク)のお誘いをしていただきました。
 これがなんと無料で案内付き!小諸の路地をゆっくり回ることができました。

◇こもろ観光局Komoro Tourism Bureau
https://www.komoro-tour.jp/
◇スマートカート egg | 縁JOY!小諸(縁こもろ)
https://enjoy-komoro.jp/introduce/smartegg/

六人乗り電動カート 
小回りが利き、静かで落ち着いた乗り味でした。


 小回りのきく6人乗り電動カートで、細い路地を静かに見て回ることができます。地元出身の方が、観光ガイドブックには載らないであろう様々な地元情報を語ってくれました。生まれ故郷のこの地に、大変に愛着と誇りとをもっておられることも感じられて、とてもいいひと時でした。本当に偶然でしたが、素敵な出会いに感謝です! 
 30分あまりの一巡りでしたが、小諸駅周辺の中心市街地の概要がつかめました。この後は、案内していただいて心に残った店舗や場所に、徒歩あるいはクルマで回ることとしましょう。

 始めに徒歩3分ほどの「懐古園」へ。よく写真で紹介される立派な門があるのですが、現在一部修繕中でした。懐古園藤村記念館と合わせて何度か訪れているので、時間の都合上今回は鑑賞しませんでした。紅葉が映えるのももう少し後ですしね。

観光案内によく登場する門は修繕中

 ここで、「小諸なる古城のほとり」と「島崎藤村」に関することを少々…。

小諸なる古城のほとり
 
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど
野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ

暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む

 上記引用は島崎藤村「小諸なる古城のほとり」という詩です。
 藤村は「若菜集」「一葉舟」「夏草」「落梅集」という4冊の詩集を出版していますが、この「小諸なる古城のほとり」は「落梅集」に収められています。最初に発表されたのは明治33年(1890年)で、その時の題名は「旅情」でした。
 藤村は明治32年(1899年)に、この地・長野県北佐久郡小諸町に、「小諸義塾」の英語教師として赴任します。6年間をこの小諸町で過ごしました。この時期に藤村は冬子と結婚し、長女みどりも生まれました。小諸を中心とした人びとの暮らしや千曲川の自然を写生した随筆「千曲川のスケッチ」とあわせて、この「小諸なる古城のほとり」を味わうといいと思います。この詩は、小諸生活二年目の春に作られたと言われます。藤村29歳の時でした。
 藤村はこの小諸の時代に、詩作から小説に転身します。「破戒」はこの頃に書き始められたものです。

 懐古園のすぐ近くには「小諸義塾記念館」があり、同じ敷地に「惜別の歌」の歌碑が置かれています。
◇小諸義塾記念館
 【https://www.komoro-tour.jp/spot/castle/kaikoen/kaikoen12/

「遠き別れに たえかねて」という言辞から始まる『惜別の歌』。
「悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣を ととのえよ」の言葉も印象的ですね。

   

 作曲は、中央大学の学生であった藤江英輔さんであり、歌詞は、島崎藤村の詩集「若菜集」に収録された「高楼(たかどの)」に基づくものとされています。藤村の「高楼」の詩は、妹が嫁に行く姉に別れを告げる内容ですが、「姉」を「友」に差し替えて作曲されたとされています。なるほど、三番の歌詞にある表現…「くれないの くちびる」「黒髪」に名残が見えますね。歌碑の隣にこの曲が流れる装置があったので、静かな空気の中で鑑賞していたのですが…。突然正午を告げる曲〔「上を向いて歩こう」〕が近くのスピーカーから大音量で流れてしまいました。

 その後「丁子庵」さんという趣ある店構えのお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦をいただきました。長野県はどこも蕎麦美味しいですが、その中でもレベル上だと思います。
◇「丁子庵」
https://choujiya.jp/

 その後、「彩本堂」さんというサイフォン抽出特化したコーヒー店で美味しいコーヒーをいただきました。ここは繰り返しお訪ねする価値大のお店だと思います。
◇「彩本堂」
https://www.siphon-do.com/main

 
 市街地を発つ前に、老舗醸造元の「山吹味噌」さんでお味噌他何点かのお土産を買い求めました。
◇「山吹味噌」
https://www.yamabukimiso.com/

 小諸の魅力再発見できた一日でした。

 この後、自宅へ戻る道すがら、「布引観音」様に参拝しましたが、それについては改めて書き起こしたいと思います。

 近隣で、素敵な小さな旅ができたことに感謝!