「しつけのためにやた」 ……はあ?
「しつけのためにやった」 ‥はあ?
相も変わらず、親のわが子への虐待に関する報道が繰り返されています。悲惨な事例も多々ありますね。
よく報じられるのが、そんな親たちの
「しつけのためにやった」という寝言であり戯れ言。
・・はあ?
「しつけられるべきなのはあんたたちじゃないのかい。」 と、思ってしまうことってありませんか。自分も人様のこととやかく言えるような人間ではありませんけれど、「しつけ」ってなんなのよ!と思うことが度々あります。いや、ありました。
それこそ、現役時には様々な場面に遭遇しました。詳しくは書けませんが、児相や警察とも連携して対処しなければならない事案にも複数回遭遇してきました。子供を自分の所有物としか思っていないような親だって珍しくはありません。そのような親に限って言います。「しつけのためにやった…」
辛口の批評としても知られるトム・ソーヤーの作者・マーク・トウェーンの言葉にこんなものがあるんですね。
Good breeding consists in concealing how much we think of ourselves and how little we think of the other person.
「しつけとは、自分のことをどれほど多く考え、他人のことをどれほど考えていないかの隠蔽で構成されている。」といったところでしょうか。なるほど、マーク・トウェーン「らしい」言葉ですね。原文の「good breeding」 をそのまま日本語の「しつけ」としてよいかどうか問われるところもありますが、「しつけ」とか「good breeding」ということは、本当によくよく考えないといけないと思います。
「自分の気に入るように振舞い」「自分に都合のいいように行動する」 ようにさせることを「しつけ」とか「指導」の名のもとに(それこそ「隠蔽して」「隠れ蓑にして」)に行ってはいないだろうかということを、振り返っていくこと、考えていくことは大事なことです。自分本位、自分の思うままにしたいことを隠す行為として、「しつけ」という言葉になっていないだろうかということ。よくよく気をつけないといけないことなのかなあと思います。
こんなワタクシは、家内から、かなり「しつけ」られているよなあ…と思っているのですが。 それは…それ?