梅開早春
梅開早春
かつて学校では職員研修として「読み合わせ」なんてものがあったんですね。定番と言えるくらいよく読まれるもののひとつに『正法眼蔵』がありました。不肖・伊東、そんな読み合わせの中、今まさに意識が遠くなっていく・・(*+_+)とした時、ふと心に留まり、感銘を受けた一節がありました。「梅花の巻」にある「梅開早春」というものです。
梅は「花のさきがけ」として、春を迎える前に冷たい風の中で清楚な花を咲かせてくれます。「梅開早春」という言葉をあたりまえに考えるなら「梅は早春に開く」ということでしょうか。「春になったらから梅の花が咲く」という極めて当たり前な受け止め方に落ち着きますね。
けれども、この言葉は、「梅は早春を開く」とも解釈される言葉なのです。「梅開に帯せられて万春はやし」と示されています。
「春の訪れがあり → 梅は花を咲かす」ということは当然なのですが、一方、「梅の花が咲くことで → 春が開いていく」ということがここには示されているのです。
ここで「梅」を「自分自身」「私」とみて、「春」を「望まれる環境・状態・未来」「よりよい未来」等の言葉に置き換えてみると分かり易いと思います。
「春」=「望ましい環境・状況・未来」というものは、「梅が開く」=私・自分自身を咲かせて行くことであり、自分自身の覚醒、心の持ちようが大切なものであるということでしょうか。自分自身の覚醒によって、自分の未来を開いていくということを語っていると解釈することができます。
そして、自分の人生だけでなく、周囲を開いて行くということも含んでいます。周囲に対しても、清らかな春の訪れを知らせていかなければいけない、ということも示していると思います。
一人ひとりの覚醒が大切であり、それによってこそ自分の人生も、望ましい周囲の環境というも「開いて」いくということを読み取ることができると思います。
周囲の環境が整ったから自分が開くのではなく、自分自身が覚醒、自覚をして、能動的、積極的に進むことにより、自分の人生と周囲のよりよい状況を切り開いていくことの大切さを伝えてくれているのでしょう。