GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

行き暮れて木の下陰を宿とせば花やこよひの主ならまし

                            (2022.3.07)

行き暮れて木の下陰を宿とせば花やこよひの主ならまし (平忠度

 

 かつて学生時代の登山の折には、駅の待合室で宿泊(ステーション・ビバーク…造語ですね。不時露営…予定外の野外宿泊のことです)したり、そこら適当なところで一夜を過ごしたりしたものです。今やるとホームレスの爺と思われますね。もっとも駅の待合室で泊まるなんてことはもうできません。昔は長野、松本、富山、甲府、等々登山の玄関口となる駅の待合室で寝袋を広げていました。今はJRの各駅は最終列車が出てしまうと、始発時刻までクローズするようです。おそらく追い出されるでしょう。また、かなりの数の駅が無人駅となりました。

 かつては黙認されていたんでしょうか。待合室で寝袋を広げても追い出されることはありませんでした。中にはストーブの火を消さないなんて粋な計らいをしてくれた駅員さんもいました。42年くらい前の記憶ですが、冬に山スキー黒姫山に登ろうと一人で出かけたことがありました。おそらく冬型気圧配置が続いていたのでしょう、ずっと降雪が激しくて、天気待ちをして、信越本線黒姫駅(今はしなの鉄道)で2泊しました。そのとき、駅員さんは待合室のサンポット(ローカル線駅でよく見かけた石油ストーブ)の火を消すことなく、二晩中!暖を取らせてくれました。国鉄時代の古き良き時代のお話しかもしれません。

 麓でなく、山中での正統的(?)なビバークも度々ありました。

 岩壁の小さなテラスの時もあったり、稜線上のコル(鞍部)や沢の中であったり、様々な状況がありました。偶然同じ場所!なんてこともありました。北岳バットレスという岩壁の中央稜というところの下部。2月(22歳時)と11月(28歳時)の2回ほぼ同じところでのビバークです。二晩とも幸いにも天気は悪くなく、星空に慰められるビバークでした。

 あちらこちら、あまりマトモでないところに泊まり歩いたものですが、そんなとき、冒頭の歌がぴったりくるな、と思います。まあ、この歌は負け戦で落ち延びて行くときに詠まれたもので、忠度はその後源氏の追っ手に捕縛されてしまいますので、あまりゲンのいい歌ではないかなとは思うんですけれど…。心細さの中で岩陰や木陰に一夜の宿を借りるという状況でも、花を愛でる雅な心を失わないことは大切ですね。

 今では、東京から上高地扇沢、白馬山麓などの登山口まで直行バスが運行される時代となり、松本や大町の駅や街も素通りされるようになりました。東京を夜発って車中泊、目を覚ますと上高地…。便利なことはその通りでしょう。でも、なんだかとても味気ないと思うのは、お年寄りのノスタルジアでしょうか。

 JRでは夜行急行列車もなくなりました。新宿駅23時50分台発の列車待ちの登山者が並ぶなんて光景も過去のものとなりました。ステーションビバークなんて言葉も死語になっていくのでしょう。

 こんなことを記していると、GSでのキャンプツーリングに出かけたくなります。

 そろそろいい季節に入っていきますね。