『参りて見て来』と仰せ候へば
『参りて見て来』と仰せ候へば、
目をたたかず、よく見て候ぞかし
昨日(3月9日)は本県の公立高等学校入学者選抜後期選抜学力検査が行われました。この前後の期間は高等学校も来校者制限等緊迫感?がありますので訪問を自粛しています(…そんな訳で一昨日の蓼科山でした)。
長女が勤務している高校でも、県下一斉同じ試験がありました。長女は国語科教員をしていますので国語の出題については関心があるようですが(…なかったら困るわな)、ワタクシなどはもう関心持つ必要ないのに気になってしまうのはなぜでしょう。
古典の出題は「宇治拾遺物語」から取られていました。古典に楽しく親しんでほしいという出題者の思いを感じる選択です。中学生から高校生になる世代の生徒さんがおもしろさを味わうには格好の古典文学だと思います。
200近いお話が収められた説話集です。成立年代、編者ははっきりしないようですが、鎌倉時代初期に成立したと考えられています。今年の大河ドラマの時代ですね。偶然か?なかなかタイムリーで粋な計らい?な選択ですね。
今回の出題は「白河法皇、北面受領の下りのまねの事」から採られていました。
この愉快なお話を極々掻い摘んで記します。
白河法皇が、北面の武士たちに「国司が任国へ下るまね」をさせて御覧になることとなり、ある者を国司に、その外の者たちも様々な役に仕立ててご覧になるということになりました。そんなわけで、武士たちは他の者には負けまいときらびやかに装いました。左衛門尉源行遠は特に念入りに仕度しました。そして「前もって人の目に触れないようにしよう」と思い、御所に近い人家に隠れて従者を呼び、「御所の近くで様子を見て来い」と言って様子を見に行かせました。
ところが、いつまでたっても従者が戻って来ません。「どうしてこんなに遅いのか」と思っていました。どうしたものかと待っていると、門の方で「ああ、実に見事なものだった、すばらしかった」と言う声がしました。。
おかしいと思って、先ほどの従者を呼ぶと、その従者は笑いながら出て来て言います。
「まずこれほどの見物はございません。目もくらむほどの見物でした」と言う。
「それでどうした」と問うと、
「もうとっくに終りました」と言う。
「どうして帰って来て知らせなかったのか」と言うと、
「『行って見て来い』と言われたので、まばたきもせず、よく 見ておりました。」と答えました。
あらら…。行遠さん、お出ましができませんでしたね…。
その後、「行遠は参加せず不届き。謹慎せよ」との命が下されたのですが、法皇はこの事情を聞いて大笑いして、謹慎は解かれました…というお話です。
「『行って見て来い』と言われたので、まばたきもせず、よく見ておりました。」
遠い昔のお話しですが、これは「笑い話」でもありながら、それだけでない教訓も与えてくれます。「『見てこい』と言われたので『よく見ていた』」というようなことは、学校や職場でも、笑い話だけでなく起こり得ることなんですね。
この従者は、現代風に言えば発達障害系の特性を持つと言えるかな。
主人の指示の出し方は、そのあたりの配慮に欠けている、ともいえるかもしれません。
「御所の門近くに行って、他の人たちの様子を見て、私が出ていくのによい時を知らせなさい。」というような、具体的で明確な指示をすることが大切なんですね。言葉の裏にあるものを察知することが難しい特性のある方があることを理解しておくことは大切です。「見てこい」だけでは伝わらないことがあるんですね。
なんだか、試験問題の話とはずれてしまいましたが…。
昔の説話集ですが、現代の様々な事象を考えることにつながることがたくさんあることに改めて気づかされます。
今頃、長女は昨日の解答用紙の点検と採点をしているのでしょうか?
珍解答があったら教えてほしいな。