GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

犬のようなる法師来れば

なげけとて月やはものを思はするかこち顔なる我涙かな(千載和歌集
 百人一首に選ばれているこの歌でも知られる西行法師。本名は佐藤義清。北面の武士として鳥羽上皇の側近として仕官していましたが、やんごとなき高貴な女性との恋の糸のもつれでしょうか(諸説有)、突如23才のとき仕官を辞して出家。爾来半世紀にわたる漂泊の旅を続けました。
 この「漂泊の旅」というのが刺さるんですよね。私の好きな旅の歌人の一人です。
 全国各地の歌枕の地などを訪れ、様々な事跡や伝説を残しています。そうした土地をめぐるのも私のツーリングの楽しみのひとつです。
 さて、その西行法師は、わが長野県ではこんな事績が伝わっています。
 西行法師が善光寺参拝を終えて、戸隠神社に参ろうと向かう途中のことです。飯綱原に差しかかったところで、蕨(わらび)とりに夢中になっている子どもたちを見て、からかってやろうと声をかけました。
「わらびにて手なやきそ」 ※『わらび(藁火」)で手をやけどするんじゃないぞ』
と声をかけました。
 子どもたちは、この西行法師の言葉の頓智を見破った上に
「ひのきにて頭なやきそ」 ※『ひのき(火の木)であたまを焼かないでね!』
「檜(ひのき)」の笠を被っていた西行法師をやりこめてしまいました。
 なかなか生意気な童ですが、賢いですね。
 さらに山径を辿り、今度は火之御子社の境内に差し掛かった時のことです。
 桜の木の下で遊んでいた村の子どもたちが、西行法師の姿を見て一斉に木に登りました。
 西行法師は「さるちごと見るよりはやく木にのぼる」
 ※『木登りがうまいので猿に間違ってしまったぞ』とからかいました。
 すると、子どもたちはこう答えました。
 「犬のようなる法師来れば」
 ※『みすぼらしくて犬のような坊さんが来たからだよ!』
 「犬猿の仲」という故事を揶揄したんですね。
 二度までも子どもたちにやりこめられた西行法師はびっくりして、「さすが戸隠権現のお膝下にすむだけあって賢い子供たちだ。こういう土地にきてからかってみようなんて心をおこしたのが恥ずかしい。このうえ先に進んだら思いもかけない失敗をするかも知れない」と、この桜の木のもとから引き返したといわれています。その桜は、「西行桜」の名前がつけられ、物語とともに大事にされています。
 今日2月15日は「西行忌」 亡くなったのは旧暦2月16日とのことですが、有名な歌
「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」の歌により、15日を忌日としています。自身の言葉通りの時に人生の幕を引く…なんてところも刺さるところですね。

戸隠に鎮座まします火之御子社です。
戸隠には様々な謂われのあるお社がたくさんあります。

西行桜のいい伝えが記された高札もあります。

 

残雪の戸隠連峰西岳周辺の展望。昨年春の画像です。