GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

ゆきて帰りし物語

ゆきて帰りし物語
 先日職務で某高等学校へ訪問した折に、その学校の図書館を訪れる機会がありました。学校図書館は所属の学校司書の先生に支えられています。それぞれの学校図書館には、その運営にも学校司書の先生の個性が現れているものです。この日お訪ねした学校では「冒険譚」に類する図書の紹介と展示がされていました。今月下旬あたりから、小中学校では「読書週(旬・月)間」という期間を設定することがあります。自校の図書館の蔵書や、場合によっては市町村図書館からお借りした本を展示するなどして、児童生徒の意欲を喚起するという取組も行われます。
 児童期の子供たちが好きなジャンルの本として、「冒険譚」があります。RPGなんかでも「冒険」ものが人気なんですよね。通底するものはあると思います。
 人気のあるものとしては、「ニルスの不思議な旅」「ホビットの冒険」とその後日譚である「指輪物語」など。これらは、冒険の旅を描いた古典ですね。
 「ホビットの冒険」の原題は、「The Hobbit, or There and Back Again」といいます。訳者の瀬田貞二先生が「アリスやピノキオやニルスと同じように、ホビットと言うだけですぐわかり、愛されるようになってもらいたい」という願いから『ホビットの冒険』という題が付けられました。でも、There and Back Again…「ゆきてかえりし」の方が好みだなあ。ニルスのお話も、やはり同じように「ゆきて帰りし」なお話です。冒険心ある子どもの心をわくわくさせるんですよね。日本でも外国でも、古来の昔話や冒険物語は、多くはこの形式で構成されています。
 さて、これらの物語もそうですが、旅や冒険というものは、考えてみると、
「行って帰ってくる」か「行って帰ってこないか」
 この二種類しかありません。
「行って帰ってくる旅」は、多くの場合ハッピーなものでしょう。いろいろな発見や経験を積み、成長して戻ってきます。
 一方、「帰ってくることのできなかった旅」あるいは「帰ることを選ばなかった旅」は、どんな旅であったとしても、何かしらの哀しみや切なさが伴うものではないでしょうか。例外としては、いまの場所にいられなくなっての「旅立ち」、新天地を求めての「移動・移住」がありますが、それは旅とは言わないかもしれませんけれどね。
 『ホビットの冒険』では、主人公は帰ってくることができました。しかし、何十年かの後、『指輪物語』において、彼は再び旅に出ましたが、再び故郷に帰ることはありませんでした。その旅は「ゆきて帰りし」ものではなかったということです。帰らざる旅…。こうしたエンディングは、物語に深い思索と余韻を与えます。
 私たちの余暇の旅行や山登り、ツーリング、トレラン等々は、必ず、「ゆきて帰りし」ものにしなければならないですけれどね。
 さて、私たちの「人生」も、しばしば旅にたとえられます。この旅は「ゆきて帰りし」ものなのか、それとも「ゆきて帰らざる」ものなのでしょうか。人は時間をさかのぼることはできません。生まれた瞬間から死へ向かうのみ。そして世を去った人たちに会う方法はありません。そう考えると、人生は一方通行であり、「ゆきて帰らざる旅なのでしょうか。いや、こんな見方も可能かな。人は無から生じ、無へと帰る、魂の故郷へ帰る…。これなら「ゆきて帰りし旅」ということにります。
 皆さんは、どちらの見方がお好みですか?