GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

斎藤茂吉記念館

 今回の南東北ソロツーの目的のひとつは「斎藤茂吉記念館」でありました。
「景色のいい道をGSで走りたいだけでしょうが!」とか「アリバイ作りでしょうね」とか言われるのも、我が身の不徳の致すところですし、まあ半分くらい「その通りです!」(居直る)

雨の上がるのを待って岡谷市の自宅発9時半。午後のおやつタイム頃に到着しました。閉館時間までゆっくり鑑賞します。ほぼ貸切状態。
 …ではあるのですが、それでもある程度の目的意識をもって訪れたのでありました。
 実はワタクシ、居住する郡市教育会(公益財団法人・諏訪教育会)の同好会のひとつ「島木赤彦研究会」の会長を仰せつかって数年(ほかに誰も引き受け手が…) 名ばかりでなく少しは知見を深めたいとの思いもないわけではなく、赤彦とは深いつながりのある、斎藤茂吉の事蹟に触れたいと思っていました。また、国語授業で斎藤茂吉の作品を取り上げることもたくさんありました。児童生徒といくつかの作品を鑑賞してきた思い出も多々あります。
 そして一番は、ただ単純に茂吉の作品が好きであること。とくに、下記に記します「赤光」所載の歌に詠まれた故郷の情景、「白き山」に収められた最上川の情景を現地でこそ味わいたい…という願いもあったのです。
 山形出身の斎藤茂吉については、全国的にもご存知の方が多いと思います。最もよく知られた作品としては
「みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる」
「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」
 【『赤光』所載「しにたまふ母 其の一」】が一番に挙げられると思います。教科書にも掲載され続けている作品ですね。
 本業は精神科医ですが、歌集「赤光」によって一躍歌壇に知られるようになりました。アララギ派歌人として作歌を続け、日本の代表的歌人の一人となっています。
 さて、島木赤彦については、茂吉ほどの全国区的な知名度は少ないと思います。長野県諏訪郡の生まれで本名は久保田(旧姓・塚原)俊彦。本業は教師です。訓導として情熱的な教育を実践した後には、塩尻市立広丘小学校、茅野市立玉川小学校で校長を務めています。不思議な巡りあわせですが、ワタクシもこの玉川小に6年、広丘小に4年勤務しました。信濃教育会の機関紙「信濃教育」の編集主任を務め、毎号巻頭論文を執筆し、学校教育・教師像・文芸・哲学…様々な論述を発表していました。
 そのような経歴もあり、諏訪郡の教育会では郷土の偉大な先達として「歌人・島木赤彦/教育者・久保田俊彦」の事蹟を永く顕彰していきたいという思いがあるのです。下諏訪町では赤彦の終の棲家になった「柿陰山房」を整備したり「赤彦記念館」を運営したりしているほか、名を冠した童謡コンクールも開催しています。富士見町では、毎年「赤彦祭」が開催されています。しかし、全国的知名度という点では茂吉には及ばず、短歌に興味関心の深い人々以外には知られていないかもしれません。
 代表的な作品としては
「夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖(※諏訪湖ですよ)のしづけさ」   【『切火』所載】
「隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり」  【『柿蔭集』】
 が挙げられると思います。この歌は一時ですが、教科書に掲載されました。  〔つづく〕

典雅で清楚なたたずまいの記念館でした。