GS1250ADV SUGURU’s DIARY

還暦超のアルピニスト・バイク乗りの極めて平凡な日常

立山 天狗平山荘滞在と室堂周辺散策      天狗平山岳リゾート(笑)での寛ぎ旅       その① 出発~安房峠~有峰湖~立山

 昭和53年(1978年)大学入学と同時に山岳部へと入部したワタクシ。三つ峠での新人歓迎&ロッククライミング訓練、谷川岳での雪上技術訓練に続いて、初めての夏山合宿の前半部は剣岳を巡る緒ルートとその周辺の山々で行われました。「天狗平山荘」との縁はその時以来44年を越えました。
 最初に訪れたのは前述のとおりワタクシ18歳の夏でした。50㎏を優に超えるキスリングを背負って、東京の上野駅を深夜に夜行列車「急行・能登」で出発。電気機関車の牽く客車はエアコンもなく、むせ返る暑さの中で仮眠をとり早朝に富山着。富山地鉄に乗り換えて立山駅ここからケーブルカーで美女平に。ワタクシより15年くらい前の先輩の頃にはケーブルはなく、ここも歩いて(嘔吐しながら!)登ったということに肌寒いことも感じました。美女平から高原バスに乗り換えて到着したところが「天狗平山荘」でした。
 先輩に引き連れられて山荘の玄関前に行き、そこで一列に整列。日に焼けた一見では強面のご主人が私たち新人の前に現れました。2代目天狗平山荘のご主人・佐伯守さんでした。
 私たちがあいさつを申し上げると、ちょっとしわがれた声で、私たちに激励の言葉をかけてくれました。剣や立山での様々な活躍、登山道整備や遭難救助に数多くの貢献をされていた方です。絵に描いたような昭和の「山男」という感じで、ワタクシは初見で魅入られてしまいました。剣岳で2週間あまり登攀活動をした後に山荘に戻るのですが、そうした時には「おい!立教、これ食え!」と一見ぶっきら棒ですが実に温かな気持ちのこもる言葉をかけてくださいました。
 剣での合宿は恒例のものでしたので、二年目三年目四年目と経過していく中で、私にとっては剣での夏山合宿では「守さんの絵顔に会える」ことが大きな楽しみになっていきました。卒業後も度々お訪ねしています。OBとして学生合宿に参加するとき、結婚前の家内を連れての春スキー、子どもができてからの立山登山などなど…。二人の子どもたちも守さんにかわいがっていただきました。
 今の主人は三代目の佐伯賢輔さん。私と同じ年の生まれです。この三代目とも44年の付き合いになります。かつては富山岳連の一員としてナンガパルバットに遠征した経歴もあます。今は三代目当主として、山小屋のテイストを残した山岳リゾート(^0^)ホテルとして発展させていこうと奮闘(…主に奥様だな)しています。
 さて、天狗平山荘のことを述べていると尽きることがありませんのでこのへんにします。
 今回は家内と二泊お世話になり、激しい登山ではなく、剣と立山の景観を楽しみながら、ゆっくりと寛いで過ごす計画です。

 

9月5日(月)
 通勤時間帯が過ぎた頃、今回は家内の車で出発。一般道で塩尻峠を越え、サラダ街道経由で波田に出て新島々へ。高山に行くときに毎度通る安房トンネルですが、今回は時間もたっぷりあるし、急ぐ旅ではないので、「安房峠を越えてみよう」ということになりました。かつてトンネルがない時には何度も通った道ですが、トンネル完成後に通った記憶はありません。先日GS-Aのタイヤ交換中に、代車のF900XRで途中まで登ったことがあるだけです。

4月28日 GS-Aのタイヤ交換作業中に代車わお借りした時
F900XR 素直な挙動の極めて乗りやすい一台でした。

 上高地へ向かう釜トンネル前を左折してトンネル方面に向かい、すぐに出会う安房峠への入り口を右へ入ります。いきなり始まる九十九折り。かつては大型観光バスがここを通っていたとは、いまでは「よくもまあ…」の思いがします。行き違いができなくて、それがもとでよく渋滞していた記憶が蘇ってきます。松本電鉄のバスは上手にクリアしていましたけれど、都会の観光バスはダメダメでしたね。
 あえて利用する人も極めて少ないのでしょうが、路面も荒れていることなく状況は良かったです。かつて茶屋があったところが小広い駐車場となっていて、穂高岳の美しい姿を望むことができました。

安房峠からの穂高岳 かつて茶屋のあったところからの展望です。

安房峠

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%88%BF%E5%B3%A0

 

 岐阜県側は長野県側に比べると開けた感じです。気持ちよく高度を下げていくと平湯温泉の一角に降り立ちます。進路を右にとって進み、神岡方面への道と合流します。奥飛騨温泉郷を通過し、高原川に架かる橋を渡って左折。右に行くと新穂高方面です。槍ヶ岳穂高岳双六岳笠ヶ岳の登山口です。
 神岡方面へしばらく進むと、今は高山市になっていますが、かつての上宝村の中心地(?)から右手に、双六谷に沿うように山奥へ向かう道があります。この道は上部で神岡から登ってくる道と合流後、「飛越トンネル」を抜けて富山県有峰ダムへと至る道となります。かつて黒部源流の赤木沢を登った時に利用したことがあります。立山町に出るにあたり、地図上ではショートカットに見えますが、なかなかに大変な山岳ロードですので、時間的には短縮にはなりません。しかし、余裕があるときには走っていただきたいお勧めのルートです。有峰林道が少々お高め(普通車2,000円 バイクはお値打ち500円)ですが。

飛騨と越中の境の山並みを貫通させた飛越トンネル。
黒部源流の山々が身近なものになりました。

◇飛越トンネル https://thejapanalps.com/access-hietsu/
◇有峰林道 https://www.travel.co.jp/guide/article/21468/

 飛越トンネルの岐阜県側が北ノ俣岳登山口になっています。黒部源流の山のひとつですが、ここからですと日帰りが可能です。ひと昔前はかなりの日数を要した黒部源流の稜線でしたが、道路網発達のおかげでずいぶん身近になりましたね。
 トンネルを越して少し進むと料金所があります。
 有峰ダムの建設によって生まれた有峰湖。湖に沿うように道路は続きますが、深い木々にさえぎられて、右手にある湖面はなかなか望めません。行き交う車もほとんどない中を進み展望台に出ます。ここからの眺めは見事なものです。

有峰湖展望台からの眺め 
湖底に沈んでしまいましたがかつては有峰集落がありました。
正面は黒部源流の山々に連なる山並みです。

◇有峰湖 https://www.toyamashi-kankoukyoukai.jp/?tid=101008

 ここからは有峰口、亀谷に向かってぐんぐん標高を下げていきます。この道もかつてはかなり怪しげな道でしたが、繰り返し改修されてトンネルも増えて安心な道となりました。通行料金がそれなりなのも納得ですね。
 
 亀谷温泉から常願寺川に沿って立山へと続く道に入ります。佐伯さんの自宅のある芦峅を通ります。右手に「まんだら遊苑」の表示がありますが、ここに守さんのお墓があります。立山を正面に臨むように建立された立派な墓所です。
 そして、立山駅へと到着。ここが黒部立山アルペンルートの富山側の起点となります。駐車場には平日でありましたが結構な数の車がありました。しかし、これから上に向かう人は極めて少なく、駅は閑散としていましたし、ケーブル乗車したのは私たち夫婦だけでした。

かつては馬鹿バカしいくらいの重荷を背負って通過していた立山駅。

◇黒部立山アルペンルート
 https://www.alpen-route.com/index.php